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2011年3月22日 (火)

大地震(首都圏にて)

3月11日、東日本太平洋沿岸で大規模な地震がありました。
被害に遭われた方のご冥福と、一日も早い復興をお祈りします。

私は神奈川県の職場にて地震にあいました。
その時の様子を少し、記したいと思います。

8階のオフィスにて、他の方とお話をしていた14:46、最初はゆっくりとした横揺れ、それから突然激しい縦揺れとなりました。
8階ということもあり、体を上下に激しく揺さぶられ、悲鳴をあげながら机の下に必死で潜り込みました。
その途端、職場は停電。
停電したことで、恐怖が一層増したのではないかと思います。

しばらくすると縦揺れは収まり、ゆらゆらとした横揺れだけになりました。
そのため、恐る恐る机から顔を出すと、机に付いた袖卓がみんな開いた状態になり、ローラーの付いた椅子も転がっている有様でした。
その間、ビルの管理室からは、「地震が発生しています、落ち着いて下さい」というアナウンスが流れていました。

職場は騒然。みんな顔を強張らせていました。
職場の明かりはビルの自家発電で復旧しましたが、一部のみでパソコンや電話は使えず。
トイレさえ使えませんでした。

やがて、スマホのネット検索などで、岩手沖で震度7の地震、10mの津波があった事がわかり、私たちの地域でも震度5強だった事が分かりました。

職場の指示で、「すぐに帰宅できる準備をして待機」ということになり、私はカバンに、デスクに溜めていたお菓子とお茶をしまいました。

その間も、余震が続きました。
強い余震の時は、みんな机に潜っていました。
本当に怖くて仕方ありませんでした。

17時前には、帰宅できる人は帰宅して良いというお達しが出たのですが、JRが終日運休になったため、家に帰れる見込みが無くなりました。
私は通勤に一時間半かけているので、徒歩で帰るのはあり得ない判断でした。
そんな時、職場の方で、当日たまたま車で通勤されていた方がいて、乗せてもらえることになりました。
車に同乗したのは五人。
職場を出たのは、19時過ぎ。
都内は交通マヒしているため、少し郊外の道を通りました。
それでも、私が家に着いたのは22時半過ぎ。
私たちを送って、最後に家に着いたのは何時だったのか、本当に申し訳ないですが感謝しています。

家に着いてから、ずっと連絡の取れなかったダンナさんとようやく電話が繋がりました。
彼は完全な帰宅難民になっており、徒歩で帰宅中でした。
そして、家に到着したのが午前2時。
長い一日が終わりました。

東京は、余震も収まってきており、停電はありますが日常を取り戻しつつあります。
被災地ではまだ余震が続くなか、救助活動が続いています。
寒い日が続いているので、避難所の方も辛い日々を過ごしていらっしゃると思います。
早く、救援物資の届くこと、暖かい部屋で過ごすことができますように。
心から、お祈りしております。

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